クラブ紹介

「ゴルフ日本シリーズ」誕生のいきさつ

 「第1回ゴルフ日本シリーズ」が開催されたのは1963年。企画が生まれたきっかけは全く単純明快で、前年の1962年に米国で「第1回ゴルフ・ワールドシリーズ」が発足したこと。出場資格は世界の4大メジャー(マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロ)のチャンピオンだけで、これを事実上の”世界一決定戦”にしようという発想でした。

 ゴルフ日本シリーズは、その日本版として翌1963年にデビュー。そのころ日本での公式戦は、日本オープン、日本プロ、関東オープン、関東プロ、関西オープン、関西プロの6大競技で、これらのどれかに勝つのが出場の条件だっただけに、独特な権威が生まれました。もちろん現在のようにプロの試合数は多くないが“特定の試合に勝つ”のはいつの時代でも難しいことで、日本のプロたちの年間の新たな目標となりました。

「ゴルフ日本シリーズ」と共に・・・(当クラブ所属プロの活躍)

第1回 6大公式戦のチャンピオンを集め、第1回大会開幕

 初代チャンピオンに石井朝夫。第1日目最下位からの逆転優勝は、第1回の石井朝夫が記録しているだけ。しかも石井は、首位と8打差もあったのを、第2日から5アンダー、2アンダー、2アンダーとベストスコアを連ね、逆に2位に8打差をつけた見事な大逆転だった。

 賞金総額200万円、優勝100万円は、当時一番高かった日本オープンの70万円を上回る最高額。副賞に高級乗用車が贈られた。

第2回 陳清波、杉本との争いに競り勝つ。最終日5,000人の大観衆。

 陳清波が6アンダーの284で初優勝を飾った。第1日69の杉原が第2日に76で後退。代わってコースレコード・タイの68を出した杉本が首位。第3日に陳が追い上げ、杉本と並んで迎えた最終日、連続バーディでスタートした杉本が崩れたのに対し、陳が8番のイーグルで抜け出して逃げ切り勝ちした。この年に当クラブがオープン。東西のよみうりCCを使うスタイルが確立。最終日には5,000人の大観衆が集まった。

第6回 杉本、逃げ切って初優勝。唯一のオーバーパー優勝

 第2回大会以来2度目の出場の杉本英世が初優勝を果たした。初日71で首位。2日目は75と崩れて3位に後退したが、元ホームコースの東京よみうりCCに移った3日目に69をマーク。激しい雨の最終日は上位3人のスコアが伸びず、杉本は辛くも逃げ切った。4日間通算1オーバー291。大会唯一のオーバーパー優勝だった。

第12回 村上が”日本4冠”を達成。初の賞金王にも輝く。

 村上隆が逆転で初優勝、この年発足の日本プロマッチプレー、日本プロ、日本オープン優勝に加え“日本4冠”のグランドスラムを達成した。優勝スコアは4日間通算7アンダーの283。村上は優勝賞金500万円を獲得し、3870万円で初の賞金王にも輝いた。

※杉本英世プロ、村上隆プロは当クラブ所属プロであった。

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